労働と身体①

面白くて読み進まらない、渡辺京二の『逝きし世の面影』

 江戸時代の末期から明治時代の初期にかけて日本を訪れ、
 世界に類を見ない日本の精神文明を体験した欧米人の手記や書簡を掲載している本。


せっかくなので、読み進まらず、何度も読み返してしまうところを載せたいと思います。
何回も載せるので、新しく『江戸』というカテゴリ追加しました。
今ようやく半分まで来たところですが、初めのとこももちろん面白かったので、全部読んで読み返す時に載せます♪

happyjam1343jamhappy-img423x600-1428566817ipn4i327224_convert_20150820131807.jpg

第六章 労働と身体 (p196~)

「人々は生活ができる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きていたのを見ている。労働それ自体が、もっとも純粋で激しい情熱をかき立てる楽しみとなっていた。そこで、職人は自分のつくるものに情熱を傾けた。彼らには、その仕事にどのくらいの日数を要したかは問題ではない。彼らがその作品に商品価値を与えたときでなく、-そのようなことはほとんど気にとめていない-かなり満足できる程度に完成したときに、やっとその仕事から解放されるのである。疲れがはなはだしくなると仕事場を出て、住家の周りか、どこか楽しい所へ友人と出かけて行って、勝手気儘に休息をとるのであった。」

「まったく日本人は、一般に生活とか労働をたいへんのんきに考えているらしく、なにか珍しいものを見るためには、たちどころに大群衆が集まってくる。」

「簡素な生活とは、ゆとりと自主性のある生活ということなのだった。」

「いそがしそうであるが適度に働く」日本の庶民を、「非常に満ち足りた気さくな人たち」

「運河の入口に新しい海堤が築かれつつあった。不思議な人間の杙打ち機械があり、何時間見ても興味がつきない。足場は藁縄でくくりつけられている。働いている人達はほとんど裸体に近く、ことに一人の男はふんどし以外には何も身につけいていない。杙打ち機械は面白く出来ていた。重い錘が長い竿に取りつけてあって、足場の横板に坐る男がこの竿を塩梅し、他の人々は、下の錘に結びつけられ上方の滑車を通っている縄を引っ張るのである。この縄を引く人は八人で円陣をなしていた。変な単調の歌が唄われ、一節の終りに揃って縄を引き、そこで突然縄をゆるめるので、錘はドサンと音をさせて堕ちる。すこしも錘をあげる努力をしないで歌を唱えるのは、まことにばからしい時間の浪費であるように思われた。時間の十分の九は歌を唄うのに費やされるのであった。」

「裸体の皮膚の赤黒い大工が多数集まって、いささかなりとも曳くことに努力するまでかなりの時間を、いたずらに合歌を怒鳴るばかりである有様は、まことに不思議だった。別な場所では、労働者たちが二重荷車を引っ張ったり梃子でこじたりしていたが、ここでも彼らが元気よく歌うことは同様で、群を離れて立つ一人が音頭をとり、一同が口をそろえて合唱すると同時に、一斉的な努力がこのぎこちない代物を六インチばかり動かす、という次第なのである。」

「労働の辛さを、気持ちのよい音か拍子で軽めるとは、面白い国民性」

「ちょっとでも動いたり努力したりするまでに、一分間あるいはそれ以上のあいだ歌を唄う」

201005301010415a1.jpg

日本人の労働を「考えもつかないほど不精者」と外国人は日記に記しています。
馬鹿にしたり、呆れて言っているところもなくはないけど、かわいいやっちゃなー!って部分もあるようです。

骨董品の竹籠やその他の工芸品を見て思うのは、仕事をたのしんでやりきっているということ。
江戸小紋がどんどん小さくなったのは、
「オレはここまで小さく彫れる!」
「イヤ、僕はもっと小さくできるぜ」
「いやいや、俺の方が」・・・という経緯があるらしい。

daikon.jpg

昔の竹籠製品を見ると、江戸小紋と一緒で「おれはここまでできるんだぜ」って技をおしみなく出している。
おしみない技は「人々は生活ができる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きていたのを見ている。
労働それ自体が、もっとも純粋で激しい情熱をかき立てる楽しみとなっていた」からなんだろうな。

今ってどうしてこんなにも、落ち着きがなく不安なのだろうか。
基本的にゆとりないし、ゆとり教育なんて、ほんと迷惑な話だし、愚民育成成功みたいなね。
そう思うんなら勉強しなよってほんと正論だわ。

画像はコチラから拝借いたした

20100210083042.jpg

去年少しの間だけ合気道を習っていた。
準備運動でエア舟漕ぎみたいなのがあって、声を出してやるのとないのとじゃ、力の入り方が違った。
「エッサ、エッサ」とか「エッホ、エッホ」とか声に出してその動作をする。
その力の入り方とかはこれから読み進めたら答えが出てくるのかな??

民謡でも、△△舟唄だの、△△大漁節だの、△△酒作り唄だの、△△餅つき唄なんてものもある。
茶づみ唄は聞いたことないけど、収穫時に唄うのはよく聞くよね。

「労働の辛さを、気持ちのよい音か拍子で軽めるとは、面白い国民性」と外国人は思ったかもしれないけど、
労働 = 辛い という考えがそもそも違う。
キリスト教でいえば、労働は天から与えられた罰だけど、キリスト教じゃないもんね♪
働くのが楽しい→唄っちゃうってだけだと思うけどね。

今だったら、3S政策でキリスト教でなくても「働く=罰・辛い事」と考える人が多いから、
なるべく楽したいし・手を抜くし、働いただけの代償がもらえなかったりするけど、
昔のものを見たり聞いたりしているとそうは思えない。

 「生活を楽しむためにのみ生きていた」

 「労働それ自体が、もっとも純粋で激しい情熱をかき立てる楽しみ」
だったんだよ、きっと。

だって「時間の十分の九は歌を唄うのに費やされる」とか面白すぎるじゃん。
ほぼ働いてないじゃないかーー。
「群を離れて立つ一人が音頭をとり、」 盆踊り以外ででも音頭取りが居たことに驚き!!

愉快で陽気で気さく。
そんなひとにわたしはなりたい。江戸時代に戻りたい。
原発なくなったら江戸時代になってしまうよって言うひとが居たけど、
いや、むしろ大賛成なんだけど??もどろうよ、きっとたのしいぞ~。

ezuawaodori.jpg

面白すぎる昔の人々。また載せます。
先が気になる方は、本を買って、自分で読んでね。
感動するところは人によって違うからね☆





スポンサーサイト