労働と身体②

面白くて読み進まらない、渡辺京二の『逝きし世の面影』
江戸時代の末期から明治時代の初期にかけて日本を訪れ、
世界に類を見ない日本の精神文明を体験した欧米人の手記や書簡を掲載している本。

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引き続き、第六章 労働と身体から。

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 動作の長い合間に唄がうたわれるのは、むろん作業のリズムをつくり出す意味もあろうが、より本質的には、何のよろこびもない労役に転化しかねないものを、集団的な嬉戯を含みうる労働として労働する者の側に確保するためであった。つまり、唄とともに在る、近代的観念からすれば非能率極まりないこの労働の形態は、労働を運賃とひきかえに計量化された時間単位の労役たらしめることを拒み、それを精神的肉体的な自己活動たらしめるために習慣化されたのだった。イヴァン・イリイチふうにいえば、労働はまだ“ワーク”になっていなかった。p197

ペリー「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ」
    「いくら黙って辛棒しようと思っても、辛棒しきれなくていらいらさせられた」
勝海舟「ペリー提督はよい人間であったが、たいそういらいらした不作法な男だった」p198

 「日本人は交渉が始まろうというのに、いつまでも座りこんで、喫煙したり、あたりを眺めたり、あたかも気晴らしにでも出かけているつもりらしい。そしてこういう場合なのに、お茶を飲んだり菓子をたべるといった陽気さである。その上、彼らは真面目くさった顔で、想像もつかぬ冗談を言うのである。」p198

 東海道の旅人について 
 「平民たちは歩きやすいように、着物を端折り、大部分の者はかなり容易に旅をしていた。そして道ばたに数えきれないほどたくさんの茶店や休憩所で、たびたび立ち止り、一杯のうすい茶を飲み、自分と同様に、一休みに立ち寄った者と、誰かれ構わず陽気にしゃべって、元気を取り戻していた。彼にとっては、道のりなど考えになかったようだった。好きなように時間をかけ、自分なりの速さで、行けさえすれば(大体出来たのだが)来る日も来る日も、一日中歩いた。時間の価値など全く念頭になかった。商取引きの場合でさえ、ヨーロッパ商人の最大の当惑は、時間どおりに契約を実行させるのが難しいことであった。いや、不可能だったといった方がよいかもしれない」p199

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お互いに相手の仕事加減を見て、不精者だの不作法だと言う。
3S政策で「労働=辛い」となっているし、わたしも事務員はあんまりおもしろくないと思っていたりとするから、
外国人の気持ちが分かるけど、そんな悠長さを持った人に憧れる。
ついつい焦ってしまうし、困らせてないか考えてしまうし、もっとゆったりとしていられたらいいなあ。
時間を気にせず、すたすた歩き、疲れたら休みたいだけ休む。
9月の連休にやってみようかしら。

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 モースは北海道の小樽で、おそるべき体力を持った老婆に出会った。彼女は天秤棒をかついで帆立貝を行商しているのだったが、その荷はモースと彼の日本人の連れが持ち上げようとしてもどうしても上がらぬほど重かった。彼らが断念すると老婆は静かに天秤棒をかつぎあげ、丁寧にサヨナラをいうとともに、「絶対的な速度」で往来を立ち去って行ったのである。「この小さなしなびた婆さんは、すでにこの荷物を一マイルかあるいはそれ以上運搬したにもかかわらず、続けさまに商品の名を呼ぶ程、息がつづくのであった」。むろんこの老婆は当時の小樽の「魚売り女」の中で、特別の力持ちだったわけではなかろう。p202

 「荷物を担いでいる人たちは、裸に近い恰好だった。肩に竹の支柱をつけ、それにたいへん重い運搬籠を載せているので、その重みで支柱の竹筒が今にも割れそうだった。彼らの身のこなしは、走っているのか歩いているのか見分けのつかない熊のものである。汗が日焼けした首筋をしたたり落ちた。しかし、かくも難儀な仕事をしているにもかかわらず、この人たちは常に上機嫌で、気持ちのよい挨拶をしてくれた。彼らは歩きながらも、締めつけられた胸の奥から仕事の歌を口ずさむ。喘ぎながらうたう歌は、左足が地面につく時、右足が大股に踏み出す力を奮いたたせる」。p202

 当時の横浜港は大型船を横づけできる埠頭をもたない。乗客は沖がかりした外航船から、日本人船頭の漕ぐはしけに乗り移って、桟橋まで運ばれるのである。~「このほっそりとした看板のない小舟は、ほかに例を見ない代物で、筋骨たくましい六人の男たちが櫓をあやつるのだが、彼らが小板の上に立ち、からだを前に傾け、節まわしの奇妙な唄で音頭をとりながら、絶え間なくなめらかに櫓を動かすと、小舟は生きた魚さながらに、すばやく躍り上がるように走る」p203

 ボーヴォワルは「奇妙な唄」と記しているが、モースにはそれは「不思議な呻り声」に聞こえた。「お互いに調子をそろえて、ヘイ ヘイチャ ヘイヘイ チャというような音をさせ、時にこの船唄(もしこれが船歌であるのならば)を変化させる。彼らは船を漕ぐのと同じ程度の力をこめて呻る。彼らが発する雑音は、こみ入った、ぜいぜいいう汽機に似ていた。私は彼らが櫓のひと押しごとに費やす烈しい気力に心から同情した。しかも彼らは二マイルを一度も休まず漕ぎ続けたのである」。p203

 彼らの労働はたしかにモースの同情を買うほどに激しいものだったに相違ないが、果たしてそれだけの苦役だっただろうか。そうではあるまい。船歌でもうなり声でもどっちでもいいが、彼らのあげる音声は、舟と一体となって波頭を蹴ってゆく生きものの、おのずと発するよろこびの声でもあったのではなかったか。

 船頭たちはお互いの船が衝突したときも、嫌な顔をしたり罵りあったりしないと記されていることから見ても、彼らはすこぶる上機嫌で舟を漕いでいたらしいのである。p203

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唄に力があるのか、唄いながら働くことでついた筋肉のおかげか、
昔の人たちはすごいなあ。
事務仕事も唄えば楽しいのかしらと思い、
だれもいないときに最上川舟歌を唄ってみたけど、むなしさ全開。
みんなで唄うからいいのよね~、労働したーい、汗かく仕事がしたい。





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