労働と身体④

引き続きひたすら載せていきます。
渡辺京二の逝きし世の面影、第六章より引用。

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 車力、人力車夫、別当といった労働者たちについてのこの一連の記述から、われわれは伊達、粋、いなせという類いの男性美学を連想することさえ可能かも知れない。ここにあげられているのは、場合によっては博徒や無頼にも通じかねない職業携帯ということもできよう。しかし、欧米人の眼に映った彼らのなんとたくましく活力にみちていることだろう。後年、日本を訪うた欧米人は、日本の男の容貌や肉体についてしばしば“醜い”と記述している。それは彼らの日本女性に対する賛美とほとんど劇的な対照をなしているといえるほどで、その典型をわれわれはかのモラエスに見出すことができる。ところが幕末あるいは明治初期に日本を訪れた彼らの眼には、労働する日本の男たちは必ずしも醜いとは映らなかった。たとえばギメはなんと、彼らを古代ギリシャ人にたとえているのである。p208

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                                          画像:すずめ踊り

 「船の看板に現われるあの昔の幻影は何だろう。若いローマ人風の一団が堂々と行進してくる。彼らは長いラテンの衣服をまとい、ティスト風に髪を刈り、その顔立ちはほっそりとして、上品でけがれなく、表情にはアジア風なものは何一つない。私たちの方に来るのを見れば、まさにブルートゥスの息子たちだ」。p208

 彼らは実は、ギメと同じ船で帰国した日本人技師を出迎えに来た召使たちだったのだ。「若い日本人たちは、彼らの主人の荷物の上に、浅浮彫にみられる風情で、どっかりと腰を下した。優美な襞、きまった輪郭、むき出しの腕のポーズ、組んだ足、下げた頭、衣服と組み合わされて調和のとれた体の線、すべてが古代の彫刻の荘重な美を思い出させる」。そしてギメは問う。「なぜ主人があんなに醜く、召使が美しいのか」。p209

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 上層と下層とで、日本人の間にいちじるしい肉体上の相違があることは多くの観察者が気づくところだった。p209

 「下層階級は概して強壮で、腕や脚や胸部がよく発達している。上流階級はしばしば病弱である」。p209

 「日本の肉体労働者は衣服と体つきの美しさという点で、中流、上流をはるかにしのいでいる」。p209

 「下層の者の間では、体操選手を思わせるような、背が高く異常に筋肉の発達したタイプにめぐりあう」。p209

 日本人の容貌は好ましいといえないが、そのいやな印象は、「栗色に輝く眼から伝わってくる知性、顔の表情全体からにじみ出てくる善良さと陽気さに接して思わず抱いてしまう共感によって、たちまちのうちに吹きとばされてしまう」と感じた。p209~210

 「下層の労働者階級はがっしり逞しい体格をしているが、力仕事をして筋肉を発達させることのない上級階級の男はやせていて、往々にして貧弱である」。p210

 上流の者たちは「日本的醜悪の顕著なる特徴をこれ見よがしに備えているのが常だったが」、そのかわり手足は整っていて、それに注意をひくような動作を好んですること~p210

 メーチニコフは日本人の外貌には「豊かな多様性」があり、そのために観察者はこれまで矛盾した記述を残してきたのだと言う。p211

 身体がある社会の特質とそれによって構造化された精神の表現であるとすれば、欧米人の眼に当時の別当や人力車夫や船頭や召使の身体が、美しく生き生きとしたものに映ったという事実は、彼らがまさしく古き日本の社会の中で、ある意味で自由で自主的な特質をもった労働に従事していたのだという、渋滞の日本史学からすれば許すべからざる異端的仮説を成立可能ならしめるものであるのかもしれない。注意しておきたいのは、日本労働大衆についてこういう意外な記述がみられるのは、幕末から明治初期に限られることだ。だとすると、江戸時代の労働大衆は自由な身体の持ち主だったのである。なぜ彼らの身体は自由で生き生きとありえたのであろうか。われわれの考察はおのずと当時の身分社会の構造へ導かれる。p211

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次章 第七章 自由と身分。
ここでのナゾは次章で読み解かれるようです。




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