自由と身分①

渡辺京二の『逝きし世の面影』
 江戸時代の末期から明治時代の初期にかけて日本を訪れ、
 世界に類を見ない日本の精神文明を体験した欧米人の手記や書簡を掲載している本。


おもしろくてなかなか読み進まらない。
おもしろくて何度も読み返してしまうところをドバっと載せます。
自分のために載せているので、先が気になる人は本を購入してね♪

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七章 自由と身分

 古き日本を実見した欧米人の数ある驚きのなかで、最大のそれは、日本人民衆が生活にすっかり満足しているという事実だった。p215

 「日本を支配している異常な制度について調査すればするほど、全体の組織を支えている大原則は、個人の自由の完全な廃止であるということが、いっそう明白になってくる」p215

 「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているようにみえることは、驚くべき事実である」。p215
 「人民はたえざる監督の結果、抑圧され疑い深くなったと信ずべきなのに、実はまったく反対に、明朗快活、開放的な人民が見出される」p216

 「日本は専制政治に対する世界最良の弁明を提供している。政府は全知であり、その結果強力で安定している。その束縛は絶対であり、あらゆる面をひとしく圧している。しかるに、社会はその存在をほとんど意識していない」p216

(画像はここから 江戸美学研究会 「九尺二間」が生んだ人情の機微

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 大名行列の前に平伏する庶民を見ればわかるように、世襲貴族と一般大衆のあいだには越えがたいへだたりがある。p216

 「外見的な屈従は皮ひとえのものにすぎないのかも知れず、形式的外見的には一般民衆の自由があって民主的な制度をより多くの国々以上に、日本の町や田舎の労働者は多くの自由をもち、個人的に不法な仕打ちをうけることがなく、この国の主権をにぎる人々によってことごとく干渉する立法を押しつけられることもすくないのかも知れない」。p216

 民衆が自由なのは、日本では下層民が「全然上層民と関係ないから」p216

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 上層民たる武士階級は「地位が高ければ高いほど、人目に触れず閉じ籠もってしまい」、格式と慣習の「奴隷」となっている。「これに反して、町人は個人的自由を享有している。しかもその自由たるや、ヨーロッパの国々でも余りその比を見ないほどの自由である」。法律は厳しいが、裁きは公平で「法律と習慣さえ尊重すれば、決して危険はない」。p217

 「日本政府は民衆に対して、あまり権力をもっていない」

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 出島拡張の一案として、町との境いになっている掘割の埋立てを提案したとき、奉行岡部駿河守長常(1825~66)が、そうすれば「近所の民家はすべてその所有する艀の溜り場を失うことになるからという理由で」拒んだ

 「政府がいかにその臣民の権利を尊重するか」p217

 「われわれの長崎滞在中に、幕府は病院を建てようとした。幕府につかえていたオランダ人の軍医少佐ポンぺ博士は、このために必要な場所を探し出し、長崎奉行もこれに同意した。その場所は貧しい納付が居住し、一~二反の畑を耕作している岡の頂上であった。奉行はこの農夫に、この土地を地価と収穫高とを算入して幕府に譲渡するように頼んだ。だが農夫は自分がまいた種をまず収穫したいと思うと指摘し、幕府の依頼をあっさり拒絶した。彼にはその後、二倍、三倍の価格が提示されたが、彼は強情な態度を改めず、最後にはどんな条件でも土地を譲渡するつもりはないと宣言した。~」p218

江戸農業

 カッテンディーケが経験したところでは、幕吏は乱暴を働く外国人に対してはなはだ軟弱だった。オランダ水兵が事件を起した場合も、穏便にことをすまそうとする風に見えたので、かえって彼の方から、そういう場合は容赦なく処分してほしいと頼んだくらいである。彼らはいったいなんのために両刃をたばさんでいるのか、というのが彼の率直な疑念だった。しかも幕吏は外国人に対してだけ弱腰だったのではない。彼らは「例えば甲と乙との町の住民に争いが起こった場合には、往々町中の恐ろしい闘争となり、闘争の後には幾人かの死人が転がっているというような騒動が起きても、決してそれを阻止することがない」のである。p218

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  「江戸には現に二つの社会が存在していて、一つは武装した特権階級で、広い城塞の中に閉じこめられており、もう一つは、武器は取り上げられ前者に屈服させられているが、自由から得られる利益をすべて受けているらしい」p222

 徳川期は刑罰の苛酷さも含めて、建前どおりにとれば、甚だ不自由な時代であった印象をうけかねない。だが、建前と現実の間には甚しい乖離があり、建前の不自由さが実際の運用によって大いに緩和されていたことは、近代大方の論者の承認するところとなっている。オリファントは表向き禁止されていることに、さまざまな「抜け道」が設けられていることに気づいた。「日本には不適当なことを『内分』に行なうという慣習がある。他の国にも広まってよい慣習である。内分と呼ばれているが、それは言葉を変えていけば承認された徴行でということである」。この内分(nayboen)という言葉は強い印象を与えたとみえ、彼らは自分たちの行動にも冗談まじりにこの語を用いている。p224

(画像はここから ギュッてしたくなる〜っ!江戸時代の浮世絵・日本画に描かれた可愛すぎ「ゆるキャラ」総まとめ

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厳しい制度はあったけど、抜け穴がたくさんあった。
どの章でも、日本の良いところだけでなく、悪いところも書いてあったけど、
この章はすごいぞ。

別当の頭が遊女に断られ、その遊女の店を別当たちが取り囲み、
「遊女を出せー」となり、政府はそれをまあまあってやるのではなく、
その遊女と遊女の情夫を自殺に追い込んだらしい。
それが一件落着なんだってーー。

ルールはあったけど、任されてた。
ある外国人の財布(約40両入った)がなくなり、日本人の友達に相談したところ、
犯人はその外国人の友達(日本人)だった。犯人は、容赦ない鞭打ちの刑にされたそう。
20両以上の盗みは打ち首となるが、政府には差し出さず、自分たちで解決。

厳しいルールはあったけど、ひとりひとりが賢かった。
機嫌の良い、善い民だったから良かったものの、悪い民だったら大変なことになってただろうなあ。






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