女の位相②

渡辺京二『逝きし世の面影』
 江戸時代の末期から明治時代の初期にかけて日本を訪れ、
 世界に類を見ない日本の精神文明を体験した欧米人の手記や書簡を掲載している本。


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引き続き、第九章 女の位相より引用。

 「夫婦のうちで性格の強いものの方が、性別とは関係なく家を支配する」。妻の地位を高めているのは女性の労働の重要さであった。彼女は東京の朝早い街上で、一家で思い荷車を押している光景をよく見かけた。そのうち女は背丈が小さいのと背に赤児を負っているので、やっと女と見分けられた。「しかし、日が暮れて荷物が処分されてしまうと、妻と赤児は荷車の上に坐り、二人の男が近くの村の我が家へ、それを曳いて帰るのだった」。彼女は日光を訪れて、この地方では馬子をつとめるのは女であることを知ったp299

 「湯元までの二日間の旅のために駄馬を雇おうとしたとき、交渉相手となったのは小柄な初老の女だった。彼女は手ごわい交渉相手で、できるだけ有利な条件を確保しようとした。一行の出発準備が整ってみると、鞍のついた馬にはそれぞれ男の馬丁がついてきたが、荷を運ぶポニーは、十二歳から十四歳くらいのかわいい田舎娘たちに手綱をとられていた。彼女らのキラキラした黒い瞳と真赤な頬は、頭を飾る青い手拭いと楽しげな対照をなしていた。青い木綿地につつまれたほっそりした四肢と、それに赤い帯だけが、彼女らを女だということを暗示していた」p299

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 明治の上流家庭における結婚生活、とくに家観念の強い華族、士族出身の高級官吏、大商人や大地主の家庭におけるそれ、しかも絵に描いたような理念型であることはいうまでもあるまい。p300

 それはたかがた一割に及ばない日本人の生活現実だった。それ以外の大多数の日本人は、むろん男尊女卑のイデオロギーの影響を受けながら、そのような理念型とはほとんど縁のない結婚生活をいとなんでいた。だからこそベーコンは、農民を初めとする庶民の結婚生活の、よりのびやかで幸福な構図を補足せねばならなかったのである。p300

 彼女が交際している上流家庭にお菊さんという女中がいた。彼女は結婚のためにその家からひまを取ったのだが、ひと月余りでまたその家へ舞い戻ってきた。主人が「夫が不親切な男だったのか」と問うと、彼女は「いいえ、夫は親切で気のよい人だったのです。でも姑が我慢できない人でした。私を休むひまもないくらい働かせたのです」と答えた。~お菊さんの新世帯に転がり込んだのである。転がりこまれたお菊さんの生活はたえがたいものになった。そこで彼女は離縁を求め承認されたということだ。この話のどこに家制度の束縛があり、男の圧制があるのだろう。あるのは女どうしの闘争ではないか。男は女にはさまれてうろうろしているだけだ。p301

 姑と嫁の戦いにしても、強い方が勝つのであることは、婆さんが兄息子の嫁から追い出されたのを見てもあきらかだ。しかも、お菊さんは姑から追い出されたのではない。自分の方が我慢できなかったので離婚を請求したのである。p301

 離婚歴は当時の女性にとってなんら再婚の障害にはならなかった。その家がいやならいつでもおん出る。それが当時の女性の権利である。p301

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 彼女が「これまで会ったうちで最も幸せな老女のひとり」の物語
 彼女は嫁ぎ先で多くの子を生んだが、そのすべてに先立たれ、婚家のお荷物になるよりはと、弟の家に身を寄せた。そこは子沢山だったので、彼女は実の母とともに子どもたちの世話をひき受けた。上の子から下の子まで、次々と彼女の世話になった。彼女の背中で眠り、なやみがあれば聞いてもらい、いっしょに街歩きをたのしみ、彼女の引き出しから思いがけず現れるおもちゃや菓子に喜ばされた。七十歳になったとき、彼女が手がけた子どもたちはみな成人して、その幾人かは自分の家を構えていた。彼女の曲った腰と皺だらけの顔は、そのでも歓迎された。彼らはかわるがわるよろこんで彼女をもてなし、彼女が自分たちを惜しみなく降り注いだ愛情にむくいるのだった。「彼女の彼らに対する子どもっぽい誇りと信頼を見るのは、そして、彼女の現世の幸福の望みを奪い去った死んだ子どもたちによる空白が、彼らによって埋められているのを知るのは歓びである」。p304

 当時の人びとは何よりも家庭内の和合を重んじた。妻妾同居などは、大名あるいは上級武士の家にのみ見られる家系存続システムにほかならなかった。男の勝手で妾が欲しいときは、妻や子どもに遠慮して別宅に囲うのがふつうであって、しかもそんな贅沢は一部の男にしか許されないと、彼女自身が認めている。彼女は日本の女は家庭外の世界に何の関心ももたぬと言う。しかしそれは男たちの大部分もそうであったので、明治になって立身出世とか立志とかが男の課題となるまでは、男たちはやはりおのれの家の圏内で、しあわせなあるいは不幸な一生を送ったのである。そしてそれがしあわせか不幸かを決定するのは女たちだった。だとすると、嫁が家によってテストされ、家にもっとも新しく加わったメンバーとして家風に合わせて教育されるのは、嫁自身が死ぬまでそこに所属する家庭の平安と幸福を保証する当然の措置ではなかったか。女の忍従と自己犠牲はおのれの家を楽しいものとするために払われたのであり、その成果は彼女自身に戻ってくるのだった。結婚によって他人の家に従属するといっても、ベーコンの認めるとおり老後にはそれは彼女自身の支配する家となる。自己抑制と自己放棄は彼女たちに静かな威厳をそえた。チェンバレンのいう日本女性のきびしい一面というのは、このような幼少時からの自己鍛錬のもたらすところだったのだ。p305

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 ベルクは一八六〇年の知見として、「多くの老婦人の気品ある容貌は、その道徳的使命と平和な生活境遇とを物語っている」と書いている。p305

 モースもこれは明治一五年、和歌山県を訪ねたときのことであるが、「私は、老婦人たちが著しくよい顔立ちをしているのに気づいた。非常に優しく、母性愛に満ち、そして利巧そうな顔である。事実私は、日本で私が訪れた多くの土地の中で、ここにおけるほど立派な、そして知的な老婦人が多い場所はないといいたい」と書いている。p305

 外国人観察者が最初に強い印象を受けたのは、日本の女のいちじるしい活発さに対してだった。リュードルフは安政二年の箱館での印象として、「日本の女性は一般に、健康ではつらつとした様子をしていた」と書いている。p305

 また、『ペリー提督日本遠征記』によれば、下田の娘たちの「立居振舞は大いに活発であり、自主的である」という。つまり日本の女たち、少なくとも庶民の女たちは、観察者たちにけっして抑圧された印象を与えはしなかった。305

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 一八五六(安政三)年箱館に上陸したトロンソンンはこう書いている。「彼女らは中国人のように、外国人の前でははにかんだり尻ごみしたりすることはない。茶店に入って腰かけると、人の好い主婦か娘の一人が近寄って、お茶碗を置いて、ぴかぴかの真ちゅうか磁器のポットからお茶を注いでくれる」。p306

 また一八五八(安政五)年江戸を訪れたオズボーンは上陸当日、自分たちのボートに日本人の一家を乗せた船が近づいて来たときのことをこう述べている。「ひとりの婦人の子ども連れで船の中に座っていた。着物から彼女が上流の身分だとわかった。・・・・彼女は船尾に落ち着いて、たいしたことないわれわれ自身とかボートとか乗員とか、見るに値すると彼女が思うものを、娘の一人に指さして教えていた。その若い娘は(われわれの眼の保養だったけれど)娘らしい慎みは保ちながら、はなはだ慎ましすぎる東洋の習いである男性種族への疑ぐり深い恐怖を、全然現わしていなかった」。p306

 「日本の婦人は作法や慣習の点で、ずいぶん中国女性と違う。後者にとっては、外国人の顔を眼にする否や逃げ去るのがエティケットなのだが、日本の女は逆に、われわれに対していささかの恐怖も気おくれも示さない。これらの茶屋では、彼女らは笑顔で近づいて来てわれわれをとり囲み、衣服しらべにとりかかる。握手することさえ覚えてしまうのだ」。p306

(↓ 画像はここから 江戸時代campus江戸時代の識字率は世界でも断トツに高かった!?

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  男は女にはさまれてうろうろしているだけだ。

  離婚歴は当時の女性にとってなんら再婚の障害にはならなかった。その家がいやならいつでもおん出る。

  彼らはかわるがわるよろこんで彼女をもてなし、彼女が自分たちを惜しみなく降り注いだ愛情にむくいるのだった。

  しあわせか不幸かを決定するのは女たちだった。
  
  死ぬまでそこに所属する家庭の平安と幸福を保証する当然の措置ではなかったか。

  婦人たちが著しくよい顔立ちをしているのに気づいた。非常に優しく、母性愛に満ち、そして利巧そうな顔である。

  娘らしい慎みは保ちながら、はなはだ慎ましすぎる東洋の習いである男性種族への疑ぐり深い恐怖を、全然現わしていなかった

  彼女らは笑顔で近づいて来てわれわれをとり囲み、衣服しらべにとりかかる。


昔の女は素敵だなあ。
賢くて、我慢強くて、はつらつとしていた。
結婚は女しだいで、男は関係ないとかおもしろすぎる!
計算は女の方が得意だとか、力仕事も女がやってたり、交渉上手だったり。。
女しだいってかっこいいなぁ。

最も幸せな老女の話、最高。
自分のしたことは自分に返ってくる。
嫁姑を題材にした映画やドラマ、小説はよく見かけるけれど、
こういう意味だったんだと知ったら、しょうがないじゃんと思った。
みんなが最も幸せな老女のようになれるといいね♪

リンクの江戸時代campusにもあるとおり、識字率が高かったため、
このような賢い素敵な人間が多かったんだろう。
人のことは言えないけれど、今は勉強しなさすぎなんだろうな。
今回の戦争法案で若者たちが目覚め、勉強し、行動した。
アベ政治のことがなければこうはならなかったかもと思ったら、
そんなに絶望しなくていいな、むしろありがとうだわ。

奥田愛基さん監督の『生きる312』



彼はすごいわ。
彼に続こう。
誰か強いリーダーではなくて、ひとりひとりが賢くなろう。
だるま森えりこさんが素敵な投稿をしていたよ。
(Facebookよりスクリーンショット)

総合工作芸術家 だるま森+えりこ(Facebookページ)

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自分が生き残らなきゃ、誰かを救うことなんかできない論でいきませう。
というかそれが正論ですよね。





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