子どもの楽園①

渡辺京二『逝きし世の面影』
 江戸時代の末期から明治時代の初期にかけて日本を訪れ、
 世界に類を見ない日本の精神文明を体験した欧米人の手記や書簡を掲載している本。


逝きし世の面影271028

つづいて、第十章 子どもの楽園より引用。

 日本について「子どもの楽園」という表現を最初に用いたのはオールコックである。彼は初めて長崎に上陸したとき、「いたるところで、半身または全身はだかの子供の群れが、つまらぬことでわいわい騒いでいるのに出くわ」してそう感じたのだが、この表現はこののち欧米人訪日者の愛用するところとなった。p323

 「子供たちの主たる運動場は街上である。…子供は交通のことなどすこしも構わず、その遊びに没頭する。かれらは歩行者や、車を引いた人力車夫や、重い荷物を担いだ運搬主が、独楽を踏んだり、羽根つき遊びで羽を飛ぶのを邪魔したり、紙鳶の糸をみだしたりしないために、すこしの迂り路はいとわないことを知っているのである。馬が疾駆して来ても子供たちは、騎馬者や馭者させうるような落着きをもって眺めていて、その遊びに没頭する」。p323

 「家々の門前では、庶民の子供たちが羽子板で遊んだりまたはいろいろな形の凧をあげており、馬がそれをこわがるので馬の乗り手には大変迷惑である。親は子供たちを自由にとび回るにまかせているので、通りは子供でごったがえしている。たえず別当が馬の足下で子供を両腕で抱きあげ、そっと彼らの戸口の敷居の上におろす」。p324

 こういう情景はメアリ・フレイザーによれば、明治二十年代になってもふつうであったらしい。彼女が馬車で市中を行くと、先駆けする別当は「道路の中央に安心しきって坐っている太った赤ちゃんを抱きあげながらわきへ移したり、耳の遠い老婆を道のかたわらへ丁重に導いたり、じっさい十〇ヤードごとに人命をひとつずつ救いながらすすむ」のだった。p324

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 「東京には馬車の往来が実質的に存在しない。四頭立ての馬車はたまにしか見られないし、電車は銀座とか日本橋という大通りにしか走っていない。馬にまだがり、鞍垂れをつかんで走る別当を連れて兵営を往き帰りする将校にときたま出会うくらいだ。こういったものは例外だ。従って、俥屋はどんな街角も安心して曲がることができるし、子どもたちは重大な事故をひき起す心配などこれっぽちもなく、あらゆる街路の真っただ中でははしゃぎまわるのだ。この日本の子どもたちは、優しく控えマナ振舞いといい、品のいい広い袖とひらひらする着物といい、見るものを魅了する。手足は美しいし、黒い眼はビーズ玉のよう。そしてその眼で物怖じも羞かみもせずにあなたをじっと見つめるのだ」。p324

 「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」。p325

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 「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子供を抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することはない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りをもっている。毎朝六時ごろ、十二人か十四人の男たちが低い塀に腰を下して、それぞれ自分の腕に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かいわがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしているのを見ていると大変面白い。その様子から判断すると、この朝集りでは、子どもが主な話題となっているらしい」。p326

 「江戸の街頭や店内で、はだかのキューピットが、これまたははだかに近い頑丈そうな父親の腕にだかれているのを見かけるが、これはごくありふれた光景である。父親はこの小さな荷物をだいて、見るからになれた手つきでやさしく器用にあやしながら、あちこち歩きまわる」。p326

 父親が子どもと手をつなぎ、「何か面白いことがあると、それが見えるように、肩の上に高くさし上げる」p326

 「子供は非常に美しくて可愛く、六、七歳で道理をわきまえるほどすぐれた理解をもっている。しかしその良い子供でも、それを父や母に感謝する必要はない。なぜなら父母は子供を罰したり、教育したりしないからである」。日本人は刀で人の首をはねるのは何とも思わないのに、「子供たちを罰することは残酷だと言う」。p327

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 「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである」。p327

 「日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」p327

 「イギリスでは近代教育のために子供から奪われつつあるひとつの美点を、日本の子供たちはもっている」p327

 「すなわち日本の子供たちは自然の子であり、かれらの年齢にふさわしい娯楽を十分に楽しみ、大人ぶることがない」。p328

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 オイレンブルク伯は滞在中、池上まで遠乗りに出かけた。池上には有名な本門寺がある。門を開けようとしない僧侶に、つきそいの幕吏が一分銀を渡してやっと見物がかなったが、オイレンブルク一行のあとには何百人という子どもがついて来て、そのうち鐘を鳴らして遊びはじめた。役僧も警吏も、誰もそれをとめないでかえってよろこんでいるらしいのが、彼の印象に残った。p328

 「子供が転んで痛くした時とか、私達がばたばたと馬を駆って来た時に怖くて泣くとかいう以外には、子供の泣く声を聞いたことがな」かった。p328

 モースも「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起しているのを一度も見ていない」p328

 日本の子どもが泣かないのは、モースの言を借りれば、「刑罰なく、咎められることもなく、叱られることもなく、うるさくぐずぐず言われることもない」からであったろう。だがそれは一面では、子どもの方が親に対して従順で、叱られるようなことをせず、従って泣く必要もなかったということなのだ。p328

 モースは「世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬すること、日本の子供に如くものはない」と言っている。p328

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 フレイザー夫人は日本の子供は、「怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく」と言っている。「彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。晴天白白のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです」。彼女は「小さな家庭では、子どもがすべてを牛耳ってい」ると認めながらこう述べる。「それでもけっして、彼らが甘やかされてだめになることはありません。分別がつくと見なされる歳になると――いずこも六歳から十歳のあいだですが――彼はみずから進んで主君としての位に退き、ただ一日のうちに大人になってしまうのです」。p330

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  その眼で物怖じも羞かみもせずにあなたをじっと見つめるのだ

  自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしている

  日本の子供たちは自然の子であり、かれらの年齢にふさわしい娯楽を十分に楽しみ、大人ぶることがない

  子どもの方が親に対して従順で、叱られるようなことをせず、従って泣く必要もなかった

  世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬すること、日本の子供に如くものはない

  嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです

  みずから進んで主君としての位に退き、ただ一日のうちに大人になってしまうのです


この章もなんて面白いんだろう!
世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬すること、日本の子供に如くものはない”ですって!
親子・人間関係がこのようにできていれば争いなんて怒らないんだろうなあ。
器がでかく、小さいことは気にしない。
とても可愛がって育てられた子供は、人をとても可愛がるであろう。
良い気持ちの循環、最高の文化だと思いました。
怒っている人と居ると怒ってしまう、笑っている人と居ると笑ってしまうのと一緒だね(^o^)

子どもの楽園②に続く~♪






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