子どもの楽園②

渡辺京二『逝きし世の面影』
 江戸時代の末期から明治時代の初期にかけて日本を訪れ、
 世界に類を見ない日本の精神文明を体験した欧米人の手記や書簡を掲載している本。


逝きし世の面影271127

~引き続き、子どもの楽園より引用~

 日本の親は子どもを放任しているのではなかった。子どもは小さいときから礼儀作法を仕込まれていたし、アンベールも証言しているように、親の最大の関心は子どもの教育だった。あまやかしや放任のようにみえたのは、これもアンベールの言うとおり、親が子どもの「玩具にも遊戯にも祭礼にも干渉しない」からだった。p330

 バードはいつも菓子を用意していて子どもたちに与えていたが「彼らは、まず父か母の許しを得てからでないと、受け取るものは一人もいな」かった。許しを得るとにっこりと頭を下げ、他の子どもにも分けてやる。p330

 「家庭教育の一部は、いろいろなゲームの規則をならうことである。規則は絶対であり、疑問が生じた場合は、言い争ってゲームを中断するのではなく、年長の子どもの裁定で解決する。彼らは自分たちだけで遊び、たえず大人を煩わせるようなことはしない」。つまり日本の子どもは自分たちだけの独立した世界をもち、大人はそれに干渉しなかったのである。p330

 子どもは大人に見守られながら、彼らだけの独自な世界をもっていた。p331

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 「当所に子供地蔵といふあり。木像にて高さ一尺二寸ばかりあり。子供、遊び道具にす。夏分どもには、地蔵さんも暑かろうとて川の中へ流し、冬は炬燵に入れる。方々持ち廻り、田の中などへ持ち込めり。しかりといへども障りなし。大人ども叱りなどすれば、たちまち地蔵の機嫌をそこなひ障りあり」。p331

 おとなとは異なる文法をもつこどもの世界を、自立したものとして認める文明のありかたがここに露頭しているのだ。徳川期の文明はこのように、大人と子どものそれぞれの世界の境界に、特異な分割線を引く文明だったのである。p331

 子どもの自立した世界を認める文明は、また一方では、大人の生活のあらゆる面に子どもの参加を認める文明でもあった。p331

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 子どもは自分たちの世界を保ちつつ、大人の祭礼に参加した。モースは祭りのさいに子どもが自分たちの山車を出している風景を次のように描いている。「色の淡い提灯を持った子供達が、車を二台引張って来た。車は乱暴に板でつくり上げた粗末な二輪車で、子供ならではやらぬ調子で太鼓を叩き、叫び、笑う子供達で一杯つまっていた。その上部の枠組は、紙の人形、色布、たくさんの提灯等で、念入りに装飾してあった」。この山車には大人が数人つき添っていたという。小さな子どもでさえ、提灯で小さな車を飾り立てて町内を曳き廻していた。モースのスケッチによれば、それは小さな台車の上に立てた竹棹にいくつか提灯をとりつけたもので、なるほどこれなら小さな子どもでもひとりで曳けそうだ。モースがとくに嬉しく思ったのは、祭りなどの場で、またそれらに限らずいろんな場で大人たちが子どもと一緒になって遊ぶことだった。p331

 日本の子どもは一人家に置いて行かれることがなかった。「彼らは母親か、より大きな子供の背中にくくりつけられて、とても愉快そうに乗り廻し、新鮮な空気を吸い、そして行われつつあるものすべてを見物する」。p332

 「父と母が一緒に見世物を行くときは、一人か二人の子供を背中に背負うか、または人力車の中に入れて連れてゆくのが常である」。p332

 「カンガルーがその仔をそのふくろに入れて何処へでも連れてゆくように、日本では母親が子供を、この場合は背中についている袋に入れて一切の家事をしたり、外での娯楽に出かけたりする。子供は母親の着物と肌とのあいだに栞のように挟まれ、満足しきってこの被覆の中から覗いている。その切れ長な眼で、この眼の小さな主が、身体の熱で温められた隠れ家の中で、どんなに機嫌をよくしているか見ることができる」。p332

 子どもは、寺詣りにも花見にも、長旅の巡礼にでさえお供してついて行く。p332

 ウェンディとマイケルは、両親がパーティに出かけて留守番している夜に、ピーター・パンの初めての訪問を受け、ネバーランドへの冒険に出かけた。日本の子どもには、そんな空想物語は不必要だった。p332

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 「子供の服装は、大人の服装をだいたい小型にしたものだ」p332

 「子どもが大人とまったくおなじ衣裳をしているという事実は、始めわれわれの眼には、彼らにひどく滑稽な外見を与えるものに見えた。二歳の児と七十歳の老人が正確におなじ種類の衣服をまとっている。後者を向きを逆にしたオペラグラスで見ると、前者のように見える」。p333

 「日本の少女はわれわれの場合と違って、十七歳か十八歳まで一種の蛹状態にいて、それから豪華な衣裳をつけてデビューする、というようなことはない。ほんの小さなヨチヨチの子どもでも、すばらしく華やかな服装をしている」p333

 「十歳から十二歳位の子どもでも、まるで成人した大人のように賢明かつ落着いた態度をとる」p335

 幕末から明治二十年代にかけて、日本の子どもの大人並みの自己保持能力はこのように欧米人観察者をおどろかしたのだが、彼らのおどろきはルソー以来の「子どもの発見」、すなわち純真な子どもらしさという近代的脅迫観念にもとづいていた。日本の古き文明には、童心とか無邪気な子どもたしさといった観念は存在しなかった。誰しも認めたように、日本の子どもは無邪気で愛らしい、子どもらしい子どもだった。オールコックのいう通り、大人ぶった気どりは彼らの知らぬ感情だった。しかしそのことは、いったん必要あれば、大人顔負けの威厳と落着きを示すことを何ら妨げなかったのである。なんとなれば彼らは、不断に大人に立ち交って、大人たちの振舞いから、こういうときはこうするのだと学んでいたからである。p335

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 メーチニコフは一八七四(明治七)年来日して間もなく政府高官の高崎正風宅を訪問したが、正風は留守で、十五歳くらいの少年が取り次ぎに出た。彼は煙草盆を持って来てニーチニコフにすすめると、自分も煙管にタバコをつめ、あっという間に二服吸い終えた。メーチニコフがさほどおどろかなかったのは、すでに劇場で、大人にまじって子どもまでも煙管でタバコを吸う光景を見ていたからである。しかも当時の文明では、満の十五といえばすでに元服をすませた立派な大人だった。p336

 「両親とおなじようにおそくまで起きていて、親たちのすべての話の仲間に入っている」のだった。彼ら独自の遊びの世界を持つことを大人から認められている子どもたちは、同時にきわめて幼少の頃から、大人の友であり仲間だったのである。彼らが親とともに働いたのはいうまでもない。p336

 「日本の子供は歩けるようになるとすぐに、弟や妹を背負うことをおぼえる。・・・・彼らはこういういでたちで遊び、走り、散歩し、お使いにゆく」。もちろんこれは庶民のならわしだった。p336

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 日本の赤ん坊はおんぶされながら、「あらゆる事柄を目にし、ともにし、農作業、凧あげ、買物、料理、井戸端会議、洗濯など、まわりで起るあらゆることに参加する。彼らが四つか五つまで成長するや否や、歓びと混じりあった格別の重々しさと世間智を身につけるのは、たぶんそのせいなのだ」。p338

 バードは青森県の錠ヶ関で、子どもたちが竹馬の競争をするのを見た。しかし彼女は、「私たちが子供の遊びと呼んでいるもの」、すなわち「いろんな衝動に奔放に身を任せて、取っ組みあったり、殴りあったり、転げまわったり、跳びまわったり、蹴ったり、叫んだり、笑ったり、喧嘩したりする」のを見なかったと書いてある。日本の子どもは「遊んでいるときも静か」なのだった。p338

 モースは日本の子どものおとなしさを再々強調し、「日本の男の子は、わが国の普通の男の子達の間へ連れて来れば、誰でもみな『女々しい』と呼ばれるだろう」p339

 「私の近所に住む日本人のほとんどは漁師だったが、いつも丁寧で礼儀正しかった。一方連中の方も私に満足していたはずだ。というのは、毎週三回私の中庭を開けて子供達を遊ばせてやったり、持って来たおもちゃを貸してやったからだ。私は、あんなに行儀よくしつけの良い子供達は見たことがない。子供たちは喧嘩したり叫んだりすることなくおとなしく遊び、帰る時間になるとおもちゃをきちんと片づけて、何度も丁寧に御礼を言って帰るのだ」。p339

 グリフィスは一八七四(明治七)年、日本アジア協会で日本の子どもの遊戯と競技について講演を行なったが、彼があげた子どもの遊びは、正月の羽根つき、凧あげ、独楽まわし、かくれんぼう、鬼ごっこ、竹馬、豆鉄砲、雪合戦、それに室内遊戯としてのかるたなどで、なるほど雪合戦を除けば、それらは欧米人の眼からするとおとなしい遊びだったろう。p339

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この子どもの楽園の章は、読んでいると和やかな気分になる。

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 「彼らは、まず父か母の許しを得てからでないと、受け取るものは一人もいな」かった。許しを得るとにっこりと頭を下げ、他の子どもにも分けてやる。

 夏分どもには、地蔵さんも暑かろうとて川の中へ流し、冬は炬燵に入れる。

 いろんな場で大人たちが子どもと一緒になって遊ぶこと

 子供は母親の着物と肌とのあいだに栞のように挟まれ、満足しきってこの被覆の中から覗いている。

 いったん必要あれば、大人顔負けの威厳と落着きを示すことを何ら妨げなかった

 満の十五といえばすでに元服をすませた立派な大人だった。

 四つか五つまで成長するや否や、歓びと混じりあった格別の重々しさと世間智を身につける

 子供たちは喧嘩したり叫んだりすることなくおとなしく遊び、帰る時間になるとおもちゃをきちんと片づけて、何度も丁寧に御礼を行って帰るのだ


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いつか自分が家庭を築くときは、この時代の家族の関係になりたい。
子どもを溺愛する大人たちと常に一緒に居ることで自動的に大人になっていく。
大人だって失敗するし、欲だってある。
だけど子どもがいっちばんかわいくて大事だから、自分の恥や欲よりも子どもだったんだろうなあ。

木彫りの地蔵の話が良いですね~。
子どもが叫んだり喧嘩したりしないで遊ぶなんて、やっぱり昔の子どもは出来てるなあ。
現代の人間顔負け、完敗ですね。

子どもの楽園③は後ほど~♪


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