子どもの楽園③

渡辺京二『逝きし世の面影』
 江戸時代の末期から明治時代の初期にかけて日本を訪れ、
 世界に類を見ない日本の精神文明を体験した欧米人の手記や書簡を掲載している本。


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引き続き、第十章 子どもの楽園より引用。

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 一八五九(安政六)年二月、通商条約発効直前の長崎を訪れたヘンリー・ホームズ船長は上陸したその日の印象を次のように記している。「おおいにおどろいたことに、まず私たちの眼にはいったのは、次のような仕方で楽しんでいる大勢の子どもたちだった。独楽を廻したり、凧を揚げたり、竹馬に乗ったりしている男の子、羽根つきをしている女の子。これがおどろきだったのは、独楽にせよ凧にせよ、また羽子板にせよ、私の子どもの頃に手にしていたものより、すべてがすぐれた作りだったからだ」。p340

 グリフィスのあげている遊びのひとつには「大名行列」がある。それは「先供、役人などがいて、昔の大名行列の盛観をできるだけ真似」たもので、男の子には人気があったという。つまり子どもの主要な遊びのひとつには、大人のすることの真似があったのである。p340

 「子供の室内遊戯の多くは、大人の生活の重大な出来事を真似したものにすぎない。芝居に行って来た男の子が家に帰ると、有名な役者の真似や、即席で芝居の物真似をする。小さな子の遊びに病気のふりをし、『医者みたいに振舞う』のがある。おかしくなるほど几帳面に丸薬と粉薬の本物の医者のように、まじめくさって大層らしく振舞い、病人は苦しんで見せる。食事、茶会、結婚式、葬式までも日本の子供は真似をして遊ぶ」。p340

 つまり日本の子どもは小さな大人なのだった。羽根つき、凧あげ、独楽まわし、かるたは子どもだけのものではなかった。大人もそれをして子どもとともに遊んだ。子どもも大人の生活のあらゆる面に参加してなじんでおり、それを遊びとして模範することで大人の生活のミニチュアを経験するのだった。大人の干渉から自由な日本の子どもは、その反面大人と深く相互に浸透しあっていたのである。p340

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 「日本ほど子供の喜ぶ物を売るおもちゃ屋は縁日の多い国はない」とグリフィスは言う。だが、彼があげる大道芸やのぞき眼鏡や講釈やしんこ細工や見世物は、子どもだけでなく大人も楽しんだのである。p340

 「玩具を売っている店には感嘆した。たかが子供を楽しませるのに、どうしてこんなに知恵や創意工夫、美的感覚、知識を費やすのだろう、子供にはこしいう小さな傑作を評価する能力もないのに、と思ったほどだ。聞いてみると答えはごく簡単だった。この国では、暇なときはみんな子供のように遊んで楽しむのだという。私は祖父、父、息子の三世代が凧を揚げるのに夢中になっているのを見た」。p340

 「あらゆる種類の玩具が豊富に揃っていて、中にはまことにうまく出来ていて美しいのがある」p341

 「道に群れている沢山の歩行者の中に、市場から家路を急ぐ農夫たちの姿があった。大都会で何か買物したものを抱えているのだが、この気のいい連中のうち、子どものおもちゃを手にしていないものはごく稀であることに目がひかれた。おもちゃ屋がずい分多いことにわれわれは気づいていた。こういったことは、この心のあたたかい国民が、社会の幼いメンバーにいかにたっぷりと愛を注いでいるかということの証拠だろう」。p341

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 「日本人は確かに児童問題を解決している。日本の子供ほど行儀がよくて親切な子供はいない。また、日本人の母親ほど辛抱強く愛情に富み、子供につくす母親はいない」。p342

 「子供は大勢いるが、明るく朗らかで、色とりどりの着物を着て、まるで花束をふりまいているようだ。・・・・彼らと親しくなると、とても魅力的で、長所ばかりで欠点がほとんどないのに気づく」p342

 かつてこの国の子どもが、このようなかわいさで輝いていたというのは、なにか今日の私たちの胸を熱くさせる事実だ。モースは東京郊外でも、鹿児島や京都でも、学校帰りの子供からしばしばお辞儀され、道を譲られたと言っている。~礼節と慈悲心あるかわいい子どもたちは、いったいどこへ消えたのであろう。しかしそれは、この子たちを心から可愛がり、この子たちをそのような子に育てた親たちがどこへ消えたのかと問うのとおなじだ。p342

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 欧米人の衆目を集めた子どものかわいさは、これまた彼らの感嘆の的となった親たちの愛情と照応していた。そしてこの日本人の子どもへの異常ともみえる関心は、眼の色肌の色を異にする異邦の子どもたちにさえむけられたのである。p343

 「私の小さな娘が、老若を問わず、すべての人々に与えた喜びがどんなものだったか、誰も想像することはできないでしょう。老婆という老婆、また数多くの老人たちも、この娘を愛でるために店から飛び出してきました。そして半ばいざるような恰好で、あとからあとから彼女にお菓子やら、茶碗やら、その他沢山の贈物をくれました。そのため夫のポケットも、二人の役人と通訳の袖もたちまち一杯になってしまいました。私にはまだ、どうして一人の子が彼らにとってこんなに呼びものになったのか分かりません」。p344

 「日本人は子どもに真の情愛を持っている。だが、ヨーロッパの子どもが彼らとあまり一緒にいすぎるのはよろしくない。彼らは子どもの倫理観をだめにするし、嘘をつくことを覚える」。p347

 日本人の大人は子どもを自分たちの仲間に加え、自分たちに許される程度の冗談や嘘や喫煙や飲酒等のたのしみのおこぼれを、子どもに振舞うことをけっして罪悪とは考えていなかった。すなわち当時の日本人には、大人の不純な世界から隔離すべき“純真な子ども”という観念は、まだ知られていなかった。p347

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 盲愛とはもっとも純粋な愛のかたちなのかもしれない。少なくとも、中勘助(1885~1965)の『銀の匙』に描かれた「伯母さん」の、主人公たる少年への盲愛ぶりには、私たちにそのように感じさせるなにものかが存在する。中の年譜によれば、この人は彼の母の一番上の姉ということだが、勘助が生れる頃は中家に寄寓していて、どういう事情があったのか母代りのようにして勘助を育てた。つまり彼女は、ベーコンのいうあの不幸にして幸せなおばさんの一人だったのである。p347

 勘助は外に出るときは必ずこの伯母に負われ、五つくらいまではほとんど土の上に降りたことがなかった。p348

 勘助はひよわで食が細かった。そこで彼女は庭の築山を東海道と見立てて、お伊勢詣りの趣向でぐるぐる歩き廻らせたあげく、石燈籠にかしわ手を打って弁当をひらく。説話まじりに偏食の彼の気をひきながら、竹の子や蛤をたべさせる。自分で箸をとらないと、小さな茶碗を口にあてがって、「すずめぞだ、すずめごだ」といいながらたべさせてくれる。p348

 彼女は漢字は読めなかったがおそるべき博聞強記で、勘助にありとあらゆる説話を語ってくれた。彼はそのようにして賽の河原の巡礼歌も、千本桜の初音の鼓の話もおぼえた。百人一首も彼女の口移しで覚えた。p348

 彼女は別に勘助を教育しようと思ったのではない。この病弱で人みしりする子がただ盲目的に可愛かったのである。彼女は自分のすべてをこの子に注ぎこんだ。びっこの鶏を見ても涙する人であった彼女は、万物が愛と涙の対象である世界に、この子とたったふたりで棲んでいたかったのである。p348

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 ふたたび言う。子どもを可愛がるのは能力である。だがその能力はこの女人だけが授かっていたのではない。それはこの国の滅び去った文明が、濃淡の差はあれ万人に授けた能力だった。しかしこのような盲愛に近い子どもへの愛情は、子どもの基本的な情感と自我意識につよい安定を与えると同時に、一方では別種の問題を生じさせる可能性もあった。p349

 「残念なことは、少し経つと彼らの質が悪くなりがちなことである。日本の若い男は、彼の八歳か十歳の弟よりも魅力的でなく、自意識が強くなり、いばりだし、ときにはずうずうしくなる」。つまり、意外な感を与えるかもしれないが、欧米人の眼からすれば、この時代の日本人の子育てはあまりに非抑圧的で、必要な陶冶と規律を欠くもののように見えていたのである。p349

 観察者がたとえば、日本人が子どもを打たないというとき、それは一般的事実について述べているのであって、そういう例が皆無だと述べているわけではなく、ましてや児童に対する犯罪が起らないと言っているのではない。彼らが述べているのは、日本では子育てがいちじるしく寛容な方法で行われているということと、社会全体に子どもを愛護し尊重する気風があるという二点にすぎない。p351

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第十章 子どもの楽園はこれで終わりです。

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 食事、茶会、結婚式、葬式までも日本の子供は真似をして遊ぶ

 日本の子どもは小さな大人なのだった。

 羽根つき、凧あげ、独楽まわし、かるたは子どもだけのものではなかった。大人もそれをして子どもとともに遊んだ。子どもも大人の生活のあらゆる面に参加してなじんでおり、それを遊びとして模範することで大人の生活のミニチュアを経験するのだった。

 私は祖父、父、息子の三世代が凧を揚げるのに夢中になっているのを見た

 子供は大勢いるが、明るく朗らかで、色とりどりの着物を着て、まるで花束をふりまいているようだ。

 万物が愛と涙の対象である世界に、この子とたったふたりで棲んでいたかったのである。

 子どもの基本的な情感と自我意識につよい安定を与える


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わたしは日本でしか暮らしたことがないから、この章を読むまで、子どもの服が大人の服のミニチュアなことや、おままごとが変であることを知らなかった。
保育園に通っていた頃、よく遊んだのはおままごとより鬼ごっこだったけども、おままごとが変だなんて~、不思議な気分。
じゃあ、外国の子どもは何を着て、何をして遊んだのかしら??

弟の面倒みつつも一緒になって遊びまわってると、子どもと一緒になって遊んじゃって(冷笑)っていう反応だけど、それは当たり前だったんじゃん!とも知った\(^o^)/
自分たちの遊びに父や母が加わるのは素直に嬉しかったし、大人がむきになるのも面白かった♪
すっかりは滅びてないんじゃないかな~?
半分くらい残っているんじゃないかなと思う!

次の章は、第十一章 風景とコスモス。
入国してすぐの外国人観察者は、日本の風景がうつくしいーー!とびっくりしたそう。
なんで風景がきれいだったかの説明なのかな?
でもコスモスの意味は??
次の章もたのしみ~、ではでは~~。



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