木地師の学び

『きのうの景色』というイベントに行ってきました。
民映研の『奥会津の木地師』の上映と芸術家さんの講演会です。
わたしは用事があったので、上映会のみ参加してきました。

きのうの景色_チラシ

民映研の代表作品のひとつとも言われてる映像作品No.5『奥会津の木地師』 1976年 55分
福島県南会津郡田島町針生
姫田忠義氏が初めてひとりナレーションを行った記念すべき作品。

姫田忠義さんとは、
1928年神戸生まれ。テレビのライターのかたわら民俗学者宮本常一氏に師事。
1976年民族文化映像研究所設立。以来、同研究所所長。1994年度ペンクラブ賞団体賞。1989年フランス文化勲章オフィシェール受勲。2007年日本建築学会文化賞。著書に「私の民衆風土記-周辺への旅-」(未来社)、「忘れられた日本の文化-撮りつづけて三十年-」(岩波書店)など多数。

民族文化映像研究所(民映研)とは、
記録映像を手がかりに、長い歴史の中で培われた自然との深い対応と共生の姿を「基層文化」と捉え、日本列島を軸に人々の生活を見つめることにより、明らかにしようとしてきました。現在、40年以上の活動から、多くの資料と共に119本の映画作品と150本余りのビデオ作品が生まれています。

奥会津の木地師001

ジブリ作品の『かぐや姫の物語』に出てきた捨丸兄ちゃんたちは木地師一家だったと思われます。
山から山へ移動して暮らす、移動性生活です。
捨丸兄ちゃん家の仕事場・木地づくりの場面が映るし、大人になった捨丸兄ちゃんは家族を持って、移動式の生活をしています。

Facebookの民映研のページでも、
この『奥会津の木地師』紹介動画の再生回数は一番多いらしいです。

かぐや姫の物語・高畑勲監督作品

この作品映像は、木地師として福島県南部の山間地で盛んに活動していた家族(小椋藤八さん、星平四郎さん、星八千代世さん、湯田文子さん)による、当時の生活と技術の再現記録です。

人の力で回される手引きロクロは、奈良時代に大陸から導入されたものだという。
藤八さんたちが移動式生活を辞め、手引きロクロをしなくなって50年余りたっていた。
しかし、藤八さんたちの身体には千年を越す技術の伝統が見事に息づいていた。

日本列島には、近年まで移動性の生活をする人々が活躍していた。
山から山へ移動して椀などの木地物を作る木地師も、そのなかにあった。
この地域はブナを中心にした落葉広葉樹林帯である。
藤八さんたちは、ブナを材料とした椀を作っていた。

奥会津の木地師・木地小屋つくり その1紹介動画はこちらをクリック

~ここから映像を見たわたしのメモから(言葉など間違っているかもしれない箇所有り)~
まず木地屋敷をつくる。
移動式生活と言えど、墓はあるようで、映像ではまず墓掃除をしていました。
移動式生活をしなくなって50年だったからか、そういうものなのか、墓石は倒れて転がっていたので、建て直して掃除をします。
掃除にお花を使用♪
花に水を浸して、墓石を花で撫でるようにして洗っていました。

奥会津の木地師1


木地屋敷の場所を決めるときは、山と水と笹があるところを選びます。
山には杉・ナラ・山さくら・サルスベリなどいろんな木が生えているところがよいそうです。
数年木があるかぎり、そこで暮らしました。
屋敷は掘立式の家です。
建てるときは周辺のお百姓さんに声をかけて手伝ってもらいます。

棟梁は特にいなく、ばらばらに作業しているように見えるけれど、どんどん出来上がっていったそうです。
屋敷づくりに姫田さんも参加されたそう。

鋸で木を切り倒し、

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その1-1

柱を立てて行く。
横に柱を渡すために、溝を彫る。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その1-4

柱は土に埋めて立てる。
横に木を渡す。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その1-5

このときに使うのが、サルスベリなどの柔らかい木。
縄は高級品だし、サルスベリなどのナラ系は「ネジリ」という技法を用いる。
乾燥すると締まる優れものだった。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その1-6

家の真ん中に柱を立ててゆく。
これを「とおし柱」という。
でも家の中心部は囲炉裏を作るため、とおし柱にはしない。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その1-8

家の屋根の部分「ナガ」をつけ、ところどころ縛っていく。
ここで縛っていたものはサルスベリっぽくなかった。なんのつるだろう。

骨組みが完成したら、屋根と壁を葺いて行きます。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その1-13

これは女の仕事。
屋根や壁は笹で葺きます。

4人の女が3日間刈り集め、その数なんと2100束。
束で数えているってことは、この人が背負っているので2束とかなのかな?
それを4人で3日間、、ぞわぞわーー。
初めの山と水と笹が豊富ってこういうことなんだ。
2100束の笹を周辺から刈り取ってこれる場所。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その1-16

下から順番に葺いて行く。
笹の向きは、葉っぱが下になるように葺く。
これを「サカサブキ」という。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その1-17

笹と笹が重なるよう、「オシボコ」と呼ばれる直径5cmくらいの枝を入れて、屋根と笹とオシボコを結んでいく。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その1-18

縄のよりをほどいて、その間に縄を入れてた。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その1-20

一番上は笹の向きを変える。
葉っぱが上になるように。

屋根の一番上はまた向きを変えて、きれいに納める。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その1-21

屋根ができたら、屋根の真ん中に笹を立てて「ぶひまつり」をします。
焼いたイワナ・塩・酒・水を供え、屋根に水を注ぎます。
屋根が丈夫なようにと神様にお願いしたそうです。

壁も同じように「サカサブキ」で葺いていく。
窓を3つつくっていた。
(窓ガラスの代わりに、凧みたいな細い竹ひごのようなものに紙を貼ったものをゆったりはめてました)
窓のヘリは向きを変えて、葉が上になるようにしてました。


今度は家の内側づくり。
奥会津の木地師・木地小屋つくり その2紹介動画はこちらをクリック

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その2-1

座敷をつくります。
山から山への移動生活でしたが、この板だけは持って歩いたそうです。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その2-3

囲炉裏づくり。
大きめの石を四方に敷きつめ、

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その2-4

砂と粘土を混ぜたもので固めました。
これで足元が冷えずにすみます。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その2-5

屋敷のすぐそばの木に沿ってトイレをつくる。
生えている木を中心に枝を渡し、同じように笹を葺いて行く。
雪の多い場所の木地師の家はトイレまで廊下があって、家とトイレが繋がっているそう。
これはとても珍しいことなんですって。

栗の木を彫って、水船を作り、家の中に設置。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その2-10

100m上の上流から水を引きます。
こちらももちろん人力。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その2-11

ここ会津は雪が多いため、根曲りの木が多いので、深く掘らなければなりませんでした。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その2-12

それでも、掘ることができない箇所には、この根曲りの木を利用して樋を作ります。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その2-13

曲がっているのを利用してとは言うけれど、すごすぎる。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その2-15

家の中に直接入るように、短い樋も設置。
す、すんばらしぃーー。。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その2-21

完成の宴。
すべて人力で、なんと4日間で完成!!

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その2-22

十分に食べて飲んだら、火を囲んで歌って踊ってました。
山古志の盆踊りに少し似ていて、よく分からないタイミングで手拍子入ってました笑

酒盛り・宴ってこういう仕事のあとにするんだよな。
これなら、いくらでも飲んで酔っ払ってくれてもいい。むしろやってほしい。
これこそ、「歓を得てはまさに楽しみを作すべし、斗酒もて比隣を集めん」だわ。

民映研_奥会津の木地師・木地小屋つくり_その2-25

さて、屋敷が出来たら、いよいよ木地づくり。と行きたいところだけど、紹介動画にはないけれど、神様をお祀りしなくちゃ。

山の神様を祀る、「フイゴまつり」をします。
紹介動画にこの風景がなかったのでわたしのメモを載せますね。
姫田さんのノートはただのメモでもきれいだったそうです。
でもわたしのは暗がりで書いてますしね。ほほほほ。

女たちが米の粉で大中小の団子を作ります。(画像右上の段になってるやつ)
木地師たちは屋敷の横に小さな畑を作ることはあったが、米などは里の村から買っていた?もらっていた??そうだ。

男たちは祠を作る。(画像下部分にある神棚のようなもの)
藤八さんは札を作っていて、そこには「大山衹神社」と書いてあった気がするよ。

祠は家にあまりに近いと失礼になるから、少し離れた場所に置いた。
そして祝詞をあげて、捧げた塩をみんなで舐めた。
越後の牛の角突きでも、場内に入るときは塩を舐めて御神酒を一口のんでたなあ。
祠を作ったら、今度は家の中。
ふいごやロクロがしっかり働きますようにと、お団子をあげて、塩をまいてました。




さてさて、いよいよ木地つくりです。
奥会津の木地師紹介動画はこちらをクリック

民映研・奥会津の木地師001

わらで出来たあやつを着ていました。

wara271207.jpg wara2712077.jpg

「みの」です。
防寒のためか?演出か?
旅路もアシタカも防寒だろうなって思うけど、この再現作品を撮った時期は6月。
なんのために着てたのか知りたい。

民映研・奥会津の木地師002 

藤八さんはこのとき80歳。
くわえ煙草で作業してます。
わたしの竹の先生もくわえ煙草で作業します。
くわえ煙草ってかっこいいよね~。

椀に向くか向かないかは色で分かるそうだ。

民映研・奥会津の木地師003-5

倒す側に切り込みを入れる。
木が倒れる方を「うけぐち」と言った。
うけぐちは木の芯までいれた。
木の芯まで切り込みをいれると、木が裂けないためだ。

今度は反対側に切り込みを入れる。
これを「おいくち」と言った。

民映研・奥会津の木地師004

木を倒すまで、なんと45分!
姫田さんが年輪を数えてみると、140歳以上だったそうだ。(直径一尺六寸)
倒した切株には笹を挿した。
切り倒した株に笹を挿すってこのシーンを思い出す。

もののけ姫・シシ神さま

どうやってここから椀を切り出していくかというと、
①一部の皮をヨキで剥く
②その剥いた隣に溝を彫る
③マガリヨキに持ち替えて、切り取っていく

マガリヨキというものは大変扱いにくい道具だったそう。
姫田さんも振らせてもらったが、どこへいくか分からない難しい道具だったそうだ。
それを自由自在に操り、切り出していく技術。しかも80歳。。

民映研・奥会津の木地師005

1日に平均250個切り出したそうだ。
45分で木を倒し、250個の椀を切り出しちゃえる。最強だ。

↓ 残りカス

民映研・奥会津の木地師010

この荒削りされた椀を山から木地小屋に運ぶのは女の仕事だった。
むしろでできた袋にぎちぎちに詰めて運んでいた。
生だし、こんな量だし相当重いと思われるのだけど、この笑顔。

民映研・奥会津の木地師011

荒削りの荒削りも女の仕事。
外側の荒削り作業、これを「カタブチ」という。

民映研・奥会津の木地師012

内側の荒削り作業、これを「ナカグリ」という。
どっちの作業も刃物と手・足が近いよ!!

民映研・奥会津の木地師013

作業はずっと同じ人がやるのではなくて、どっかで交代するようだった。
お嫁さんが「ナカグリ」をするときは足に手拭い巻いてたよ。



囲炉裏の横にふいごやロクロがあり、
その隣で荒削り②の「カタブチ」「ナカグリ」の作業をしていました。
囲炉裏のある座敷の真ん前は、水場と風呂でした。

ふいごではおじいさんが刃物を叩いています。
ロクロに設置する刃物を作っているんですね。
砥いだら、とんかちでたたいて刃先に丸みをつけます。

民映研・奥会津の木地師016

手引きロクロというものは奈良時代に大陸から伝わってきたものです。
鉄の棒に縄を7巻き半して、右・左交互に引くとロクロが回ります。
ロクロの回る力を強くするために2人で引くこともあった。

交互に引くという事は、回転の方向が変わるってことだよね。
陶芸に使う、足蹴りロクロはずっと同じ方向に回る。
回転の方向が変わるのは作業しずらかったんじゃ?と思った。

民映研・奥会津の木地師018-5

刃先を丸めた刃物。

民映研・奥会津の木地師018-55

内側を削るときは座る場所を変える。
削る位置がずれないように、木の台や足などを使って固定して、木地に刃をあてていく。

民映研・奥会津の木地師019

これはきっと蓋。
削りカスから分かるように、とっても慎重に少しずつ削っていっているんだよね。
木から切りだす荒削り①、ロクロ前の荒削り②は適当に見えてとても慎重だったってことだ。
というか、危なすぎて雑に仕事できないよね。

民映研・奥会津の木地師01955

出来上がった椀は梁の上に置いて乾かした。
椀を町に運ぶのは、里の人々(針生)。
馬で運んだ。
それらは会津塗の椀となるのだった。

~感想~
今回もおもしろかったなあ。
昔の人たちは超働き者だし、丈夫だし、何より楽しそうだ。
働くときは黙々、目が合うとニコリ。
だれかに言われてやるんじゃなくて、自ら動く・喜んで引き受ける。
仕事を終えて、みんなで乾杯。
生命を全うしているなぁと思った。

現代のくらしは、昔のくらしと比べものにならないくらい豊かで便利になった。
なのに、なにか足りない気がして欲しがったり、誰かから奪ってでも手に入れたいと思ってしまう。
手に入ったら満たされるのかと思ったら、またすぐに欲しがる。
手に入っても入っても満たされないのはなんでかなと少し考えてみた。

それは、余裕がないからだと思う。
(母は足りないと洗脳されているからだと言っていた。それもあるかも。)
最初に「欲しい!」「足りない!」と思うのは一緒なんだけど、考え方が2つに分かれると思う。
誰かになんとかしてもらうAと、自分でどうにかするB。

A:誰かから買う、奪う→誰かに働いてもらう、働かせる→欲求が止まらない、満たされない
B:我慢する、自分で似たものを作る→自分で動く・働く→満足する、満たされる

自分のかわりに誰かにしてもらっている間に、自分も誰かができないことをするのならいいと思う。
未来少年コナンのラナの村はそうだった。
酪農ができる人は酪農、機織りができる人は機織り、パンが焼ける人はパンづくり。

未来少年コナン0000000000000000000000

人にやってもらって楽しよう、楽できた!やったぜ!って思っても、体力・力が余る。
労働に体力使わないで、毎日遊びほうけてたらいつか飽きてくると思う。
なんのためにここに存在するのか分からなくなっちゃいそう。
でも、余裕(遊び・遊び心)が無い、かつかつの状態でよいものづくりはできないと思う。
だから、ずっと働いて、絶対遊ぶなってことではない。

“出来ることが増えるという事は、誰かにしてあげられることが増えるってこと”
自分がしたいことして、それが誰かに喜ばれるってとても素敵だし、満たされると思う。
木地小屋つくりで嫌々やってる人は一人もいなくて、その時に必要なことを黙々とこなしていた。
誰かに褒められようと思ってしてるんじゃなくて、自分がしたいからしてる。
自分ができることを自分が満足するだけする。

『奥会津の木地師』に出てきた人たちはみんなとても満たされていて、幸福そうだった。
「生命を全うする」の『全うする』の意味は、なしとげる・完全に終わらせるという意味。
あんなに不便そうだし大変そうなのに、あんなに幸せそう。
なにが違うんだろう?どこで変わってしまったんだろう??
わたしも生命を全うする生活をしたい。見習う。



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