佐渡に行った理由

これは父に抱っこされてねんねするパンチ。
・・・さて、今回はこの間、急遽帰省し佐渡を訪れた理由を書きます。



なが~いなが~い迷走の中で自分がなにがしたいのか分からなくなってしまっていました。
誰かが喜ぶものを作りたいと思うのに、自分が欲しいものしか作らないという矛盾。
10月に新潟県・十日町で開催された手作り市で、あるお客さんに「だれかの立場になって考えて、ものを作れるようになるといいね。きっとすぐなれるよ」と言われました。
そこでやっとその矛盾に気づいて、うまくいかない理由がわかった気がしました。

わたしのおかしなところの一部で、考えが極端すぎるというのがあります。
その矛盾に気づいたとたん、「なんて自分は役立たずなんだろう、これからは誰かの喜ぶことだけしよう」となり、たまたま佐渡竹職人後継者ゼロを知り、「これをやるしかない」に囚われていました。
母はそんなわたしの性格を理解しているので、現地に行ったらわたしが正気にもどると思ったのだけど、迷走真っ只中でもうそれしか見えていなくて、きっと母もあきれ返ったと思います。
「佐渡に行くしかない」と囚われいるわりに、心は全然楽しくなくて、ここに来たらこんな良いことがあるよ~と自分を盛り上げようとしているのがまわりにも伝わるくらい空回りしてました。
これがあるし、あれもあるし、それもあるよ!最高だよ、、(きっと、たぶん)みたいな。。
全然乗り気になれないのはわたしが我儘な糞野郎だから、ここに来ることができたら良い人間になれるはずだと思っていました(笑)

母に「帰ったら、父さんに話しな~」と言われて、どこからどうやって話すんだろうとぼんやり考えていました。
(本当にそれだ!と思っているなら、どうやって・・・?なんて思わないはずなんだよね。。)
夕食後、まとまりきらない、繋がりもよく分からないナゾの話を父にしたら、、
「それってわざわざ佐渡に行かなくても今のままできるんじゃないか?移動する意味が全く分からない」と言われ、ほんとそうなんだよねー、こんなに心がわくわくしてないことをやってわたしはなにになるんだろうと泣きました。
良い人間って誰から見て?良い人間になるとなにがいいの?今のわたしは最悪なの?

そもそも、迷走ってあれもこれもやってみたけどどっちだか分からない状況のはず。
わたしは何もしないで、ああかな?こうかな?と考えて、なにもしていなかった。
自分はなにをしたいのかな?と考えるよりも、まずは手を動かして、自分はこれ(竹)が本当に好きか?を突き詰めないと。
理想と現実の差がつきすぎて動けなくなっていたのでした。
手を動かしながら理想を考えたら良いのよね~きっと。
そしたらその理想に向かって動き始める。

父が面白いことを言った。
 「みんな100点を目指すけど、なかなか100点は難しい。
  でも、おれは100点に近いと思っている。
  人から見たら20点くらいかもしれないけれど、そんなの関係ない。」

今が最悪なのか?と言ったら最悪ではない。
人から見たら最高かもしれないし、普通かもしれないし、最悪かもしれない。
でもそんなのって分かりっこないし、人から見てどうだとか本当はどうでもいい。
自分はそれをやっているとき最高だってときは、いちばん輝いているはず。
それがなんなのかやってみないと分からない。
最高だってなるとそれが止められない・ばりばりやっちゃう、そうすると気持ちがいい。
気持ちがいいと、「ああ、生きていて良かったな」と思う。
ばりばり働いているのに不思議と疲れない。
そういうものをたくさん持ちたいと思って焦ってあれもこれもと思うから、それらを突き詰める前に疲れて倒れてしまう。
あれもこれもではなくて、今自分の持っている好きなものをとことんやったらいいんだと思う。
たくさん持ってなくたって、その好きなことが1つあれば人生は十分楽しい。
いっぱい持てる人もいれば、1つだけ持つ人もいる。
多い方が良くて、少ないとダメというわけでは全然ない。

それに気づくことができた良い旅でした。
見学&体験させていただいた、七成かごは京都の篠竹でやってみようと思います。
12月の中旬に知人の土地から刈らせていただきます☆
足りないところだけ見て、ないないなにもない!ってなっていたけど、たくさん持ってたし、とてもありがたい最高の環境にいるなあと気づきました。
見本(七成かご)は手に入れたので、あとはわたし次第。
いくつか作ってみて、また佐渡を訪れ、師匠にチェックしてもらいます。
春になる前にもう一度訪れたいので、それまでにいくつできるか・・・。

ごきげんよう、さようなら。








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